生きてみたいって思いたいし、おいしいものはおいしい

どうでもいいことも言葉にしてみたら楽しいかも

プレゼント

誕生日だった。

今でもこんな私の誕生日を覚えてくれていて、毎年素敵なプレゼントを贈ってくれる友人から、今年もプレゼントが届く予定で、それを楽しみに辛くて暑い一日も乗り越えた。自分では到底買えないような、お洒落で憧れで、いい香りで、素敵なブランドのキャンドルが届くので、私は新しい歳の始まりの夜を、そのキャンドルの灯りと香りで穏やかに過ごすのを楽しみにしていた。ひとつ大人になったという感じがして最高だと思った。その灯りと香りに包まれながら、お洒落な写真も添えちゃったりしながら、友人に感謝の連絡をしよう、というところまで想像してワクワクしていた。

プレゼントは届かなかった。朝、佐〇急便から「本日お届け予定」と連絡が入っていたので16時~18時の時間指定を加え、仕事中は今晩の楽しみを思い浮かべた。でも、待てど暮らせど荷物は到着しなかった。ウェブで配達状況を問い合わせたら、なぜか「明日お届け予定」に変更されていた。そんなの、知らない。なんで勝手に明日に変更されているのかも、電話が通じないまま荷物を届けず明日になるのも、ぜんぜん、理解できなかった。私はとてもとても楽しみにしていた。誰かから誕生日プレゼントをもらうなんて滅多にないことだから本当に嬉しくて、誕生日当日に、素敵なプレゼントで、素敵な時間を過ごせるのが心から楽しみで、まだかまだかと窓の外を見て、そうして待っていたプレゼントが何の理由も分からないまま届かない。悲しい。悔しい。腹が立つ。ムカつく。寂しい。

何が重大な理由があるのかもしれない、事故に遭ったのかもしれない、身内が亡くなったのかもしれない、私が電話に気付かなかったのが悪かったんだ、私がもっと早く問い合わせていたらよかったんだ、なんで勝手に明日に変更してるの?なんで連絡が通じないまま放置されてるの?なんで大事なものを届けてくれないの?今日じゃなきゃ嫌だったのに、誕生日当日に受け取るのが嬉しくて楽しみだったのに、私は自分なりの最高の夜を過ごすはずだったのに、友人に感想と感謝をすぐに伝えたかったのに。と、こんなぐちゃぐちゃな感情を誕生日に抱いていることが嫌すぎてどうにかなりそうだ。今日だけはこんな感情持ちたくないのに。腹が立つとか、悲しいとか、嫌だとか、そういう気持ちになりたくなかった。

こんなとき、楽しみが伸びただけとか、大したことじゃないとか、明日届くんだからいいじゃんとか、そうやって考えるにはどうしたらいいんだろう。もう、私は今日の想像上の楽しみが奪われたことしか考えられなくなっている。苦しい。どうして誕生日にこんな感情にならなきゃいけないんだろう。穏やかな時間を過ごして終わっていくはずの誕生日が、嫌な感情の相手をする時間に変わっていく。佐〇急便に苛々して理不尽さを感じてしまう、その感情を持っている自分が嫌いだ、誰かに怒りの感情を持っている事実が受け止められなくて消化できなくて、自分が許せない。人に怒りをぶつけてはダメなのに、配達の仕事の大変さを理解していたいのに、今日だけは、悲しいんだ。今日だけは、届けて欲しかったんだよ。お願いだから、今日届けて欲しかったよ。不安定な私にとって、大好きな友人からのプレゼントは今日を暮らすための心の支えだったよ。私は弱いから、その支えがちょっとだけ狂うともうダメなんだ。誕生日、別にこだわりも特別さも感じていなかったけど、プレゼント貰えるのが嬉しくて幸せで、楽しみだったんだ。ワクワク、ニヤニヤして、今日を終えたかったんだ。

ごめんなさい。

感情の切り替えの仕方が分からなくてブログに書きなぐり吐き出す軽率さ。

どうしてこんなに自分を操るのが下手くそだ?

論争

どうせいつか死ぬんだから、何でもやりたい放題やっちゃえばいいじゃん!って思考と、どうせ人生つまらないから、このまま生きてても無意味じゃん!って思考が、脳内の七割くらいのスペースで延々と争っている。いつも後者が優勢だ。行き着く先ない。

 

野菜の楽しみかた

ご近所さんやパートさんから、夏野菜をいただく。

きゅうり、じゃがいも、ピーマン、いんげん豆、玉ねぎ、ズッキーニ、かぼちゃ等々、美味しい彩りが食卓に増えて嬉しい。私の家には畑が無いので、採れたて野菜を食べられるなんて贅沢は幸せで、ありがたいこと。

それにしても皆さん盛りだくさんの野菜をくれるので、どんな料理に使おうか試行錯誤の毎日だ。まずきゅうりは、プランターで採れた赤紫蘇としば漬けに。あとはキューちゃんに。加熱して、冷まして、加熱して、手が込んでいる漬物は美味しい。じゃがいもはいつも、ポテトサラダか肉じゃがか、ってところだけど、何か変わったものを作ってみたくて新しい挑戦をすることに。じゃがいもを薄くスライスしてかぼちゃも薄く切って、生地をまとわせ型に重ねていく。チーズと、ベーコンと、いんげん豆も並べて、またじゃがいもを重ねて、何層にもする。オーブンで焼き上げたらガトーインビジブルの完成だ!断面もいいかんじ。いただいた野菜をたっぷり使って、作るのも見るのもワクワクする料理ができた。生地をまとわせて重ねていく工程が好き。アレンジもできそうだし、また作ってみようかな。

最近新しく気付いたこと、私は作業工程の多い料理のほうがテンション上がるみたい。上手下手、得意苦手は置いておいて、漬物とか煮物とか菓子作りとか、ちょっとだけ工程多め、しっかりゆっくり時間をかける、完成したときの達成感が嬉しい、そういう料理が好きなのかも。だから気が向いた、暇なときにしかやらないけど。

次に作りたいのは、かぼちゃプリンと、ズッキーニのマリネと、夏野菜全部乗せオーブン焼き!

 

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断面楽しい〜

時間

東京の人口の多さにあてられて、なんで生きてるのかとか、なんで考えるのかとか、なんで苦しいのかとか、そういう哲学くさいことが頭の中を巡る。答えは出ないからずっと巡る。そろそろ鬱に入るんだろうな、すぐそこに来てるんだ、分かる、ざわざわする。ただでさえ暑さで怠いのに、勘弁してほしい。いつまでも七夕の夜のライブに浸っていたいのに。もう時間は過ぎて、余韻は日毎薄れ、忘れたくない記憶の鮮明さは衰え、全てを感じられるのはその一瞬だけだと当然を思い知らされる。

東京、みんな、生きていた。

東京

東京、当たり前だけど人口が多くて、人がいっぱい歩いていて、無数に人がいる。私は生き方が分からなくて情けなくて苦しくて消えたくて生きたくなくて、輝きがなくて希望がなくて、生きる意味が見つからなくて、そんなの、こんなに多くの人がいたら、埋もれるに決まってるじゃんと思って、私のもがいているのが大したことでは無いような気がした。

でもそれと同時に、その大したこと無さが、世界にとってどうでもいい人間であるとも思えてきて、バスの窓から眺める知らない人の群れを見て、"私"の必要性の無さを一瞬でも感じたのが恐ろしかった。

私は、この世界にとって極小の、僅かな、微かな、ほんの微々たる存在なんだと、人間多すぎてキモいなと、思った。世界は美しいとか、まだ言えないな、と思った。

なんでこんなにウジャウジャと、人が、駅へ向かって、電車に詰まって、家路を急いで、店に並んで、一つにまとまって、きもちわるい。それが普通なんだ。きもちわるいの中に私も居る。決まった時間に来る電車と、決まった時間に着くバスに乗って、家に帰る。それが普通。きもちわるい。今揺られているこのバスで、皆眠たそうで疲れてそうで静かなこのバスで、思い切り叫んで暴れ回って踊って歌ってやろうかと、そんなこと思ってみても絶対やらないのも、きもちわるい。

どうせ無数の人に埋もれて、どうせキモいなら、どうもがいたって、何やったって、世界にとっては大したことないんだろう。だったら暴れてやろーじゃねぇか、なんて叫ぶ決意も無い。

ちっぽけな私のちっぽけな世界は、自由で、恐怖だ。

 

 

生きたい

生きたい



 

楽しい予定の力

明日はついに東京だ!

ハードなバイトも、茹だる暑さも、いちいちテレビに毒を吐く親も、今日はいつもより簡単に受け流せる。私には明日の楽しみがある。

でも長時間のバス移動は疲れそうだなぁ。何して過ごそうか。

はやく寝よう、はやく起きよう。

理不尽に生きているのかもしれない

今週末、片道5時間以上バスに揺られて、大好きなロックバンドに会いに行く。所謂、遠征というやつ。今までも東京・大阪でのライブやフェスに行きたいことは多々あったが、莫大な交通費のことを思うと決心がつかなかった。

今回のライブ、バンドのツアーファイナルにはどうしても行きたかった。それでも金銭的な理由で躊躇する時間が長くあった。悩んでいるとき、どうしても腹が立ってしまう理不尽な扱いを受けた。納得できなくて、ムカついて、苛々して、でもこの怒りの感情に飲まれるのは嫌だと思った。大切にできない一時の感情に支配されてしまうのは悔しかった。だから、すぐに、東京行きのチケットを手配した。これで私の感情は楽しみの方へ向いて、未来の予定を想ってワクワクできる。怒りの感情に飲まれなかった私の勝ち!

そして今、やっぱりワクワクしている。あのときの怒りはもうどうでもよくなって、私を腹立たせたあの出来事も時間とともに消化されていく。そもそも怒りで決めたわけじゃないのかもな、私が私の判断で、行きたいと強く願ったから行く。そうだからこんなにも心が躍って嬉しいんだ。消えたい生きたくない、と、憂鬱の波に揺られて暮らす毎日だけど、今だけは、週末までは、健やかに生き抜けますようと理不尽に願う。