生きてみたいって思いたいし、おいしいものはおいしい

どうでもいいことも言葉にしてみたら楽しいかも

好きなところ

数少ない友人との連絡を絶ってしまった。友人たちは悪くないのに、私に今、人と連絡を取り合う気力がない。大切に思う気持ちはいつもあるのに。届かなくていいから友人の好きなところを書きたいと思った。寧ろ届かないのがいい。誰かの好きなところを考えるのが好きだ。

 

今日は、性格が正反対でタイプも違う異性の友人の好きなところを書く。長い付き合いができているのが未だに謎な人。周りもそう思ってるっぽい。でも私はその友人のことが特別で大切だ。彼は中学生のとき私の名前を褒めた。ソフトボール部主将だった私は短髪で見た目も男っぽく、元々顔が良いわけでもないので人からの好意とほぼ無縁だった。私の名前は2文字なのだが、その響きがかわいい、漢字も好きだ、と彼は言った。あれから約15年、その言葉を今も鮮明に思い出せる。名前が好きだと伝える彼を、素敵な人だと思った。

高校に入り、自分の分厚い一重瞼が嫌いでアイプチをするようになる。中学から高校に上がると、中学時代の関係性は変わって、男女が声を交わすことは少なくなった。特に私はなるべく目立たないように過ごそうと決めていたので、異性との関わりも、彼の関わりも殆ど無くなっていた。

ここしか遊び場がないだろうという小さな商業施設だけが地元の高校生の溜まり場で、プリクラを撮ったりベンチに座って喋ったりして同じクラスの子と放課後を過ごした。ある時、友人らと歩いていた彼が私の前で止まり話しかけてきた。第一声、そのままの目でいいのに。と言った。アイプチのことだ。恥ずかしかった。アイプチがバレている恥ずかしさと、中学時代の目と違うことに気付かれた恥ずかしさと、私の嫌いなその目を肯定してくれたような、嬉しさみたいなよく分からない感情で、何と返したか思い出せないけど咄嗟に誤魔化してしまった。その光景と彼の言葉が忘れられない。

 

彼はそういう人だった。思ったことを相手に伝えるのが早い。直感で言う。嘘や方便も言わない。言ったことはやるし誤魔化さない。あれこれ考えて行動できなかったり、結局伝えそびれたり上手く伝わらない私とは正反対の性格だ。

素敵だと思えば、違うと思えばそれを伝える、友人が困っていればなりふり構わず助ける、みたいなかんじで彼は思考をすぐに表せる人なんだと思う。それ故、発言がストレート過ぎたり、計画的なことは不得意に見えることもある。逆に私はそれが特性(相手の機嫌を伺いつつ言葉を使う、細かいところまで計画して行動する)なので対照的で面白い。そして、そういうところすごいよね。とストレートに褒めてくれるのも彼の良さだ。

その性格に助けられたことが幾度もあるので彼には感謝している。同じ人間なのにこうも違うのかと思えて飽きないし、こんなふうに生きてみたいと尊敬している。そこに性別とかなくて、私にとって好きな友人は、好きな人間だ。

 

と、いう思いを、正反対の性格の私はやっぱりいつも伝えられないので、もし今度会えたら、尊敬しているよ、とストレートに伝えたい。

 

 

こんな私と仲良くしてくれてありがとう。