生きてみたいって思いたいし、おいしいものはおいしい

どうでもいいことも言葉にしてみたら楽しいかも

知り合いに会うのが嫌だ

「いま、何してるの?」

今の私にとってこれほど怖い言葉はない。しかもこの言葉には悪意がなくて、殆どが純粋な問いだから余計に怖い。何かをしていますと言える行動をしていないので、もちろん答えられない。無職だし、今していることと言えばブログと在宅ワーク探しくらい。「働かず、毎日時間が過ぎるのを待っています」なんて答えられない。収益があるわけでもなく、仕事をしているとは言い難い。

ちょっと訂正する。殆どが純粋な問いと書いたが、よく考えてみると割と辛辣だ。働いていることが普通(一般的)だから、働いていないなんて答えは想像してないのかも。いや、問いかけている人はそこまで考えてないか。考えすぎかもしれないが、私はこの問いがとても否定的に感じ、その一言で自分が惨めになる。「何もしていない」自分が原因なのだけど。

だから、もし出かけた先で知り合いに出会ったらと思うと外出も億劫だ。遠出ならまだいい。スーパーやコンビニなど近所への買い物のほうがよほど怖い。小さな田舎の町なので知った顔に会う確率は高い。見つけてしまった時のあの動悸がものすごく怖い。どうやって気付かれずにその場を去るか、気付かれてしまったら気付かないフリをするか、もし話しかけられたらなんと返すか、「いま何してるの?」と聞かれたらなんと答えようか。無駄な思考すぎる。

数日前、欲しい本があって本屋に向かっていた。本を買うのを楽しみに思っていたのだけど、だんだん、知り合いがいたらどうしようという思考に飲まれて怖くなってしまい、結局本屋には行かず途中で引き返してしまった。馬鹿だなぁと思う。それで帰宅して、行きたかった、本が欲しかったのに、と嘆くから自分でもよく分からない。

結局は自意識過剰なだけだ。人は自分のことなんて大して気にしていないと言う。その通りだと思う。理解している。それでもどうしても人の目ばかりが気になって、自分の言動まで左右されている。やっぱり無駄な思考だ。これを改善できたらかなり生きやすくなるだろうな。

私は、芸術的なものが好きだし、何かが表現されているもの(アートや文章などの作品)に触れるのが好きだ。だから自分で表現したり創作することも好きだし、頭の中のものを形にすることが楽しい。それなのに、人の目を気にし過ぎているせいで、せっかくの好きを制御してしまう。自由にやればいいのに。これをしたら誰かがこう思うとか、これは誰かには良く思われないだろうとか。自分が好きならそれでいいのに。

ずっと前から言葉では分かっているけど、長年の思考の癖は根強くて、手強い。

少しずつでいいから、この思考を緩めたい。

知り合いに会っても、何を言われても、自分は自分でいたい。

 

当分の返答は「生きてます」でいいか。