生きてみたいって思いたいし、おいしいものはおいしい

どうでもいいことも言葉にしてみたら楽しいかも

夜、映画

夜の映画館、好き。

郊外の映画館、上映開始から1ヶ月ほど経っている作品ということもあり、座っているのは私含め4人だけだった。

(以下ネタバレを含みます)

冒頭の藤沢さんのセリフから、もうすでに涙を流していた。自分と重ねているからなのか、藤沢さんを心配に思うからなのか、藤沢さんの頭の中の思考を覗くような言葉で、すぐに心を掴まれた。藤沢さんがイライラを周りに人にぶつけてしまう場面は、こちらも辛くなり心がざわついた。自分が自分でないような時間、苦しくて悲しい。

山添くんは、少しぶっきらぼうで人付き合いの苦手そうな印象だった。自分に必要なこと以外は全く興味がないという感じ。職場での仕事内容以外の交流なんて無駄だと思っていそう。でも優しくないとか不親切とかそういうのじゃない。

ふたりのぎこちなさと苦手意識が出ている会話が「あぁ、この感じあるよね」と思わせる。人間関係を構築する難しさとか、曖昧さとか。お互いの病のことを話した時の、通じ合ってない感じ。自分の症状と相手の症状が同じなわけないし完全に分かるはずもないけど、そういう気持ちになっちゃうこと、あるのかも。心がムズムズしてしんどいね。

少しのきっかけで、相手を理解してみようと思い始めたふたりの距離感が、ちょうどいい。全てではなくても、その病のどこか一部を、救ってみようと理解しようとするふたり。

お互い違う生きづらさを抱えて、違う人生を、ちょっとずつ進みながら、生きている。

藤沢さんが洗車しに来た時、新しい道に進もうとする時、プラネタリウムの司会をやり遂げた時。山添くんが栗田科学のジャケットを羽織った時、職場に差し入れをした時、楽しそうに仕事を語る時。心が動いて、じわっとして、スーッとして、嬉しかったり安心したり、涙が止まらなかった。

 

私は、このふたりが生きていることが、何かを抱えた大人がたまに躓きながら、ちょっとずつ前へ進んで生きていることが嬉しかった。無意味に思える私の人生も、ちょっとずつ歩いて生きていけるのかもと安心した。

 

小学生の頃、星が好きだったのを思い出した。星の図鑑を読んで、夏休みの課題は星を研究して、星座表と夜空を交互に眺めた。星が好きだった。その気持ちを尊く感じた。

大人になった今も星や夜空を眺めることは好きだけど、それとは違う、子供の私の好きな気持ちを深めていたら今何をしてただろうなと、途方もないことを考えたりした。大人になった今の私は夢も目標も特にない人生を送っているけど、映画を観たら、過去の私は星に夢を見ていたことを思い出した。切なくて寂しくて、少し嬉しかった。

 

ふたりに自分を重ねたり、ふたりを心配したり、一緒に不安になったり、気分が落ち着いたり。暗くにも明るくにも、悲しくにも楽しくにも、心が忙しなく動かされたのに、観終わった私の心は温かく穏やかだった。

 

たった3人の観客が席を立ち帰っていく。涙を拭い、鼻をすする最後の1人の私は黒いスクリーンに「あぁ、いい映画だった」とこっそり呟いた。

 

映画館を出て、夜空を眺めてみた。駐車場の電灯と分厚い雲で星はほとんど見えなかったけど、夜空を見上げるだけでなんだかいい気分になれた。

 

映画を観た後になる気持ちの中で、一番好きな気持ちになる映画だったなぁ。